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三沢光晴選手を偲ぶ
今朝のスポーツ新聞も軒並み三沢選手の死が一面トップ。
どの新聞も直接最後のバックドロップを放った齋藤彰俊選手がリング上で三沢選手の遺影に土下座している写真だ。
見ていてこれは辛い。
こんな状態でも試合をやった齋藤彰俊選手は素晴らしいぞ。
三沢の意志を大切に、プロレスラーとして精進してくれ。


三沢光晴選手は1981年3月に全日本プロレスに入門。
同年8月21日にプロレスデビュー。

同年には私の故郷である熊本に熊本県民テレビという日本テレビ系列のテレビ局が開局した。
開局間もないので放送する番組確保にも困っていたようで、本来は関東ローカルであるはずの「全日本プロレスフレッシュファイト」という番組が放送されていた。
極道コンビや原・井上あたりがメインで流れる中、三沢や越中といった若手が文字通りフレッシュなファイトを見せてくれていた。
この頃からいい動きをしていて将来を期待させるレスラーだった。

三沢の試合が本格的に通常の「全日本プロレス中継」枠内で流れたのは1983年のルー・テーズ杯争奪戦決勝だと思う。
この決勝では越中に軍配が上がったものの、非常に素晴らしい試合内容だった。
けっきょく決勝を争った二人が同時に海外武者修行に送り出されることとなった。(1984年3月)

その後、7月にはもう日本に呼び戻され、二代目タイガーマスクとなる。
初代の佐山タイガーと何かと比較され、辛辣なヤジが飛び交う試合が続いた。
私は佐山タイガーより大きくて動きも良い三沢タイガーが好きだった。
やがてジャパンプロレスが全日本に襲来。
佐山タイガーと激しい試合をしていた小林邦明に完敗。
しかしこの試合でようやく佐山タイガーの呪縛が解けた。
二度目の挑戦で小林邦明を破ったときはヤジより拍手喝采するファンが多かったと記憶している。
以降の活躍はスポーツニュースでもさんざんやっているので割愛する。

小林に負けたときの試合がタイガーマスク時代の一番の名勝負だと思っている。
三沢光晴時代の名勝負は鶴田にバックドロップ連発を食らって失神負けした試合だと思っている。
敗れた試合がもっとも印象に残るというのは一流レスラーの証だ。
GYAOあたりで放送してくれないものだろうか。
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by rs422a | 2009-06-15 22:46 | etc... | Trackback | Comments(0)
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