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■ラッシャー木村さんを偲ぶ■
 既報の通り、プロレスラー・ラッシャー木村さんが24日に亡くなった。
 ほとんどのマスコミと個人ブログでは新日本プロレスの田園コロシアム大会登場以降のことしか触れられていない。
 「国際プロレス」時代の木村さんについて語るブログは少ないから書いてみる。

 国際プロレスは1980年3月に我が故郷である熊本県の田舎町に興行に来たことがある。
 倒産する1年半ほど前の時期だ。

 この時代、馬場・全日本と猪木・新日本との猛烈な興行合戦で、国際プロレスは完全に蚊帳の外であった。
 シリーズごとに豪華外人レスラーを呼ぶ全日/新日に比べて圧倒的にマイナー感あふれる団体だった。

 当時の国際プロレスには名の知れた派手な外国人レスラーが来るわけでもなく、日本人レスラーも地味なものばかり。
 その団体のエースだったのがラッシャー木村さんである。

 そんな国際プロレスだったが、私が見に行ったシリーズでは明るい話題があった。
 それは日本プロレス界の大物:大木金太郎が国際プロレスに入団するというもの。
 もっとも大木はシリーズ後半にしか登場しない予定で、私が観戦した興行ではまだ大木選手は入団前でその姿を見ることはできなかった。
 国際プロレス側も大木の対戦相手として久しぶりにビッグネームである生傷男:ディック・ザ・ブルーザーを特別参加として招聘。
 遅まきながらプロレス興行合戦に打って出た感じだった。

 ブルーザーは特別参加ということでシリーズにもスポット参戦。
 このシリーズのエース外人は踏みつぶし野郎:モンゴリアン・ストンパー
 ほれほれ、そこ、知らないって?そりゃそうだ。
 圧倒的な知名度の低さを誇る、このレスラー。
 だが猪木がアメリカ修業時代にタッグパートナーだった実績がある「知る人ぞ知る」幻の強豪なのだ。
 後年、馬場がシングルマッチで勝てなかった相手でもある。(2引き分け)
→その後2016年1月にモンゴリアン・ストンパーさんもお亡くなりになりました

 私が観戦した興行ではラッシャー木村さんはセミファイナルでマイク・ボイエッティといういかにも弱そうな選手とシングルマッチ。
 パンフレットにも「八方破れ」というわけのわからない異名が付けられているけっして一流とは呼べないレスラーだ。(八方破れの意味:いたるところすきだらけ)
 さすがにこのクラスには快勝。
 このボイエッティ選手はうまいやられかたができるレスラーだった。
 ちなみにボイエッティは後年、全日本リングで大活躍するテリー・ゴディやマイケル・ヘイズをプロレス界にスカウトした中心人物だ。
 レスラーとしてはたいした実力ではなかったが、確かな眼力を持ち合わせていたようだ。
 
 まだまだこの時代のラッシャー木村さんは元気いっぱい。
 現代プロレスでは絶滅した十字チョップも使いこなしていた。
 フィニッシュ技は忘れてしまったが、軽くスリーカウントを奪ってのフォール勝ちだったことは確かだ。

 ちなみにメインイベントは熊本出身であるグレート草津が阿修羅原と組んでモンゴリアン・ストンパー&エディ・サリバン組のタッグマッチだった。

 ラッシャー木村といえば、70年代の鶴田との抗争もすごかった。
 ダブルアーム・スープレックス、ブレーン・バスターを操り、鶴田を子供扱いしていた。
 GYAOでやってくれないかな。鶴田対木村。

 日本テレビG+では急遽5月31日に1977年12月10日のオープンタッグ戦、馬場・鶴田組対木村・草津組を放映することになった。
 全日本最強コンビ対国際最強コンビのガチンコ対決。
 馬場のキック力がすごいから一見の価値はある試合だ。

 他にも全日本プロレスに国際プロレスのレスラーとして参加していた頃の試合を流してくれないかな>日本テレビさん
 テレビ東京さんも国際プロレスのビデオを探し出してブルーレイで発売してくれないものか。
 検討を願いたい。
by rs422a | 2010-05-28 19:33 | etc... | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from KINTYRE窶儡DIARY at 2010-05-30 09:04
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